「ばあちゃんは手が震えて、文章は書けん。でも、いくらでも答えられる。まわりは亡くなるばっかり。最後、自分が伝えんといけんことがあるきね」。87歳の小山ウメ子は4月、福岡県桂川(けいせん)町にある自宅のテーブルに4枚つづりの冊子を置き、言った。

 そばには、近くに住む孫の妻さやか(42)がいた。冊子は原爆投下から70年を迎えるにあたり、全国の被爆者に今の思いを聞く朝日新聞のアンケートだった。特につらかったことは? 心の支えは? ウメ子の代わりに、さやかが回答欄に答えを記していった。

 最終ページの自由記述の欄。「メッセージは自分で書かないかんよ」。さやかが言うと、ウメ子は「そうやね」と短く返し、冊子を手元に戻した。

 ウメ子が被爆したのは広島だった。原爆が投下された1945年8月6日朝、ウメ子は病院にいた。爆心から1キロほどで、ともに看護の仕事に従事していた人たちが命を落とした。次々と負傷者が運び込まれ、遺体が近くの運動場に積み重ねられては焼かれた。その遺骨を封筒に入れ、家族に渡す日々。「戦争が終わった」と知らされても、デマだとして信じなかった。

 戦後、ゆかりのある福岡へ。結婚し、娘を産んだ。2人の孫に恵まれて幸せだったが、同居していた娘が卵巣がんを患い、昨夏に自分より先に逝った。63歳だった。「自分の被爆が原因ではないか」。そうした思いが募るなか、届いたのがアンケートの冊子だった。だが、ウメ子はさやかに回答を書いてもらってから約1カ月たった5月12日、動脈瘤(りゅう)破裂で亡くなった。

 「ばあちゃん、あの冊子をどうしたんだろう」。ウメ子の葬儀のあと、さやかはふと思った。メッセージはちゃんと書けたのか、それとも……。気にしていたとき、ウメ子と会いたいという記者から電話がかかってきた。

 冊子は生前、亡くなった娘の夫が返送してくれていた。気がかりだった自由記述欄には、文字がびっしり並んでいた。被爆したときのこと。遺体が焼ける臭いが記憶に刻まれ、今も焼き魚が苦手なこと。娘をがんで失ったこと――。末尾は「原爆でも死ななかった命を大切にして生きて行きたい」と結ばれていた。

 「ばあちゃんが自分の言葉で伝えられなかったことは残念」。さやかは訪ねてきた記者に言い、顔を上げた。「でも、よかった。思いは届いたんですよね」

■子や孫に原爆のない社会を

 消えゆく命と向き合い、思いをつづった被爆者もいた。

 栗木黛子(たいこ)は8歳のころ、広島で被爆した。当時、国民学校の3年生。授業が始まる前の教室をすさまじい閃光(せんこう)が突き抜けた。吹き飛んだガラスが刺さり、友だちは血まみれに。泣きながら帰った自宅の裏庭では、隣に住む女性がむしろの上でうなり声を上げて絶命した。この光景が脳裏から離れることはなかった。

 東京都内にある福祉系の大学で教壇に立ち、学部長まで務めた。豊島区の自宅で「先立った夫の分も生きよう」としていた矢先、大腸にがんが見つかった。被爆から62年になる2007年。70歳になっていた。

 それまで被爆者健康手帳は申請しておらず、被爆地にいたことを証言してくれる人を探して手帳を取得。治療費は国から助成を受けることができた。だが、がんは転移し、体をむしばんでいた。

 昏睡(こんすい)状態におちいる直前の今年3月、栗木のもとにもアンケートの冊子が届いていた。近くに住む長女の仲兼久遊美(なかがねく・ゆみ)(43)に「本当は死ぬのが怖い」と明かしていた栗木。抗がん剤の副作用で腫れた手に鉛筆を握り、思いを書いていった。

 「唯一の被爆国として核廃止の先頭に立つべき。戦争できる国などとんでもない」「子や孫に核兵器や原爆のない社会をバトンタッチしたいとの思いで書かせていただきました。がんの末期状態です」

 アンケートを返送した後の5月2日、栗木は78歳で亡くなった。遊美はアンケートに答えたことは知らなかったという。「母は最後の命をかけてでも、伝えたかったのですね。母が残した言葉。大切に受け継ぎたい」。遊美は言い、遺影を見つめた。=敬称略

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 被爆者は何を残そうとしているのか。私たちはどのように受け継ぎ、生かせばいいのか。「被爆70年アンケート」に寄せられた5762人のメッセージをたどり、考えていきたい。

(この連載は雨宮徹、伊藤あずさ、岩波精、大隈崇、岡戸佑樹、小野太郎、根津弥、花房吾早子、八尋紀子、山西厚が担当します)

■減る被爆者 平均80.13歳に

広島、長崎への原爆投下から70年。歳月の経過とともに被爆者も高齢になり、亡くなる人が相次ぐ。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は1980年度の37万2264人をピークに減り、今年3月には18万3519人に。平均年齢も80・13歳まで上がった。被爆者の減少で各地の被爆者団体の運営や活動が難しくなり、解散するケースも出ている。

 約2万2千人に発送した朝日新聞のアンケートに回答した5762人の平均年齢も81・1歳で、「残された時間はわずか」として思いをつづった被爆者も多数いた。体調が悪いといった理由で、子や孫、介護施設の職員らが代筆で回答したのは698人(12・1%)に上った。

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