これに対してアイゼンハワー元大統領(在53~61年)は戦時中、軍首脳として原爆投下に反対したことで知られる。「米国が恐ろしく破壊的な新兵器を率先して戦争に投入するのを見るのは嫌だった」。そのアイゼンハワー氏も就任後は、核兵器に頼って旧ソ連と対抗せざるを得なくなる。
根強い原爆投下正当論と「核の抑止力」への依存。厳然たる米国の現実を受け入れ、歴代大統領の多くは在任中に被爆地で核兵器の恐ろしさを訴えるという理想を封印してきた。自身の確かなレガシー(政治的な遺産)にはなるが、内外に誤ったメッセージを発信し、痛手を負うリスクも大きいと考えたからだ。
ニクソン元大統領(在69~74年)が広島を訪問したのは就任前の64年。「ヒロシマは平和への努力を世界に約束させる場所だ」と語り、被爆地に寄り添う姿勢をみせた。だが退任後の85年のインタビューでは、ベトナム戦争の終結などを目的に核兵器の使用を4回ほど考えたと告白している。理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。
カーター元大統領(在77~81年)はこれと逆のケースである。「すべての人々が平和とより良い理解に向けて努力することを、永遠に思い起こさせるものでなければならない」。自由にモノが言えるようになった退任後の84年に広島を訪れ、平和記念公園の資料館を見学してこう記帳した。
■任期中に広島訪問を検討したフォード
現職大統領の広島訪問が検討課題に上ったのは、フォード元大統領(在74~77年)の時代だ。大統領補佐官の一人が、74年の初の公式訪日に併せて広島入りするよう提案した。かつて戦火を交えた日米の和解を印象づけるとともに、核軍縮の努力を世界に訴えるのが狙いだった。しかし日米の古い傷口が開き、余計な摩擦を招きかねないという理由で、見送られた経緯がある。
その後も機は熟さなかった。海軍のパイロットとして先の大戦に従軍し、旧日本軍に撃墜されてパラシュートで脱出したブッシュ父元大統領(在89~93年)は、原爆投下への遺憾表明について「この大統領が口にすることはない。私はあの戦場で戦っていたのだ」と指摘。クリントン元大統領(在93~2001年)はトルーマン氏の決断に触れ「当時は間違いだったと信じられていなかったし、私はいまも信じていない」と言い切った。
あの惨事から71年。大戦を知る世代の減少や若年層の意識変化もあって、オバマ氏が広島の地を踏む環境がようやく整った。中国やロシア、北朝鮮との対立が解けず、核軍縮や核不拡散に逆行する動きがみられるとしても、現職の米大統領が被爆の実相に触れ、その体験を世界に発信する意義は間違いなく大きい。
そんなオバマ氏も米国の呪縛から解き放たれたわけではない。広島の平和記念公園で式典に臨んだこの指導者の傍らには、黒のスーツケースを持ち運ぶ軍人の姿があった。中身は核兵器の使用を承認するための機密装置である。歴代大統領が直面してきたジレンマが垣間見えた瞬間だった。
来年1月末に2期8年の任期を終えるオバマ氏に望めるものは限られる。あとは後継者に託すしかない。共和党の不動産王ドナルド・トランプ氏と民主党のヒラリー・クリントン前国務長官との一騎打ちになりそうな11月の米大統領選。新たな指導者にはどんな「ヒロシマ物語」が待っているのだろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO03107480S6A600C1I00000/?n_cid=NMAIL001