【稚内】元南極観測隊員で市立稚内病院地域連携サポートセンター長の高木知敬(とも ゆき)さん(69)が、南極の「あすか観測拠点」(あすか基地)で発行した手書きの「南極あすか新聞」を1冊の本にまとめ、「南極あすか新聞1987 初越冬の記録」として亜璃西(ありす)社(札幌)から15日、自費出版した。この地点で初の越冬に情熱を燃やし、工夫を凝らす隊員たちの和気あいあいとした南極生活を生き生きと紹介している。(岩崎志帆)
高木さんは医師として21次(1979~81年)と28次(86~88年)の越冬隊に参加。28次隊では、あすか観測拠点を開設し、初めて越冬した。標高930メートルの雪原上にあり、夏季以外はほとんど毎日地吹雪が吹き荒れるという。越冬隊は経験豊かな隊員を中心に、8人の少数精鋭で構成した。
創刊準備号4号と、87年2月16日~12月21日発行の計309号あり、主に高木さんがB5サイズの方眼紙に鉛筆でしたため、10枚をコピーして隊員に配った。基地での業務内容やコラム調の記事、毎日の食事欄を掲載。題字は南十字星と山岳地帯をモチーフにした。
ブリザード(雪の嵐)で外出禁止令が出たり、約2カ月間太陽の出ない暗夜期に耐えたりと、厳しい気象条件の中、オーロラ観測などに励む隊員の姿を紹介。87年4月24日の64号には南極初の衛星利用測位システム(GPS)を利用した海抜高度測定を行う若手隊員の哀歌を掲載。「朝から晩まで地吹雪で 景色なんぞは夢のうち」「泣いてくれるな わが妻子 オレはホントはチライのよ タバコも切れたし 酒もない」などユーモアを交えて苦労をつづっている。
仕事だけではなく、マージャンや写真現像など、日々の楽しみも描く。暗夜期の中日で、南極の冬至の時期に当たる「ミッド・ウインター・デイ」には4日間もの祭を開き、花火やフルコースディナーで「どんちゃん騒ぎ」をしたという。
あすか観測拠点は5年間しか使われず、今は雪の下に埋もれているという。隊員も全員が還暦を迎えた。
高木さんは「風化して忘れ去られるだけでは寂しい。あすかを知る人がいなくなる中、本を語り部として残したい」と語る。
B5判で336ページ。価格は5400円。問い合わせは亜璃西社(電)011・221・5396へ。